子育ての話は話すのが簡単ではないなと最近思う。
現在の子育てをしている世代の多くの壁や困難を乗り越えて、日々を過ごしているのでないかなと感じている。
自分も子育て真っ最中ではあるが、気持ちとしては万難を排して子育てを全うするような覚悟で挑んでいる。
睡眠を削り、支出を削り、時間を削り、我が子と家族のために日々挑み続けるそんな生活である。
そんな中でもわたしが子どもを迎えたいと思ったのは、自分の生きる理由が欲しかったからである。
社会に出て少したった頃、本当になんのために生きているのが分からなかった瞬間が山ほど訪れた。
何故労働をしているのか。
その答えの意味にたどり着けないなか、生きていた。
ただ搾取されるだけの生活のなかで、人を利用して利用されるそんな世界に嫌気がさしていた。
その生活のなかで自分が幸せだったときを思い出していると、祖父と過ごした無償の愛に溢れた日々を思い出したのである。
自分もそんな想いを誰かに与えてあげたいと願ったときに、自然と結婚と子どもを授かることへの一歩を踏み出した。
最初は期待とか不安とかそういう気持ちのスタートではなかったが、様々なことが進むにつれて、子どもを迎えるときに必要なものは「覚悟」としか言い表すしか出来ないと感じはじめた。
お金、労働、夫婦関係、問題は山積しても残念ながら社会も会社も友人も親ですらも助けてくれないのである。
みんな自分が生きることで精一杯なのだ。
そんなときにもうなにかのせいにするのではなく、自分が自分の子どもに幸せな気持ちを感じて貰いたいという覚悟とそれに伴う行動だけが自分と家族を救ってくれると思った。
自分以外のなにかのせいで家族の幸せを壊させないという覚悟と強さが問われているとそう思った。
そこからはもう自分との闘いである。
誰になんと言われようとも、
仕事を変えようとも、
安定を捨てようとも、
自由を捨てようとも、
まずは家族の安全な生活のために努力したのである。
職を変え、子どもとの時間をつくり、保育園、幼稚園の送り迎え、家事、更には収入を求めて、履歴書片手に有休を使って、自分の在るべき居場所を探し求めた。
そんな数年の努力を経て、やっとの想いでたどり着くのが、車の所有や新築の家、こどもの大学資金の準備の実施などの環境であった。
そんなこどもも小学生になり、これまでの苦労を吹き飛ばしてくれるのは、小学生の通知簿の内容であった。
こどもの成長が何よりの報酬なのだと思う。
元気に学校に行って、楽しそうに帰ってくるのを見るのが本当に嬉しいことだ。
これからもこの生活を守りたい。
だから同じ覚悟を持ってまた社会に挑んでいくのである。
多くの人の親がその子どもが幸せな生活を享受出来る世界になることを願って今日も強く生きていくのである。
理不尽な社会や搾取に負けず強く生きることが子どもを迎えるために必要なことなのかなと思う。
こう思わないとやっていけない世の中が明日ほんの少しでも改善することを祈っている。
コメント