広告に満ち溢れた世界

この世界は広告に満ち溢れている。

それは販売を促進する目的であったり、商品の認知を目的とするものであったり、理由は様々であるが

兎角毎日広告を見ない日はないだろう。

広告を見すぎて思うのだが、こんなに広告必要なのだろうか。

知らなければ、売れないというのは確かなのだが、

別に知りたくもない商品を知るように仕向けられて買わされているのがほとんどではないかと感じるほどだ。

買い物の話に通ずるが、なんでも広告が入る商品は全て商品の売価にはその費用が当然含まれている。

なんなら、広告作りの人たちの人件費から何やら、果てはその人たちの接待交際費なんかまで含まれた値段なのである。そのもの本来の価値よりも確実に高いものを買わされていると思う。

実際にほとんど広告をかけていない物と広告をかけまくっているもので同じジャンルのものを買うと前者の方が良い商品が多いと思う。

ただし、前者は認知度も低いし、誰の評価や感想もない。

このことからひとつわかることは

本当に価値のあるものは知らない誰かにすすめられたものではないということだ。

少なくとも費用をかけてすすめてくるものは皆全て広告の費用分割り引いた目線で評価した方がいいのである。

ここに買い物が上手いかどうかの分かれ目がある。

人生は人に評価されるものではなく、自分の意思で道を切り開いていけば良いと私は思う。

現代社会は些か、人の評価を気にしすぎだとおもう。

その結果、ほとんどの人が知らないうちに誰かに関税を払って割高なものを買わされている。

そんな世界の仕組みに少し目を向けて、自分らしく本当に価値のあるものを自分で評価して、探すような人生にすれば買い物ももっと充実するのではないか。

そう思うがゆえ最近は、ひとの評価は気にせず、広告は見ないことにしてるのである。

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