仕事と余暇の均衡

わたしが働きはじめて7・8年経った頃から

世の中で言われはじめていたのが

わーくらいふばらんす?という言葉だ。

何を意味してるのかは未だによく分からない……

世の中には都合のいい言葉がある。

言葉の意味を良く説明せず、解釈幅が広すぎる言葉のことだ。

わたしは最近増えてる謎のカタカナや和製英語をそう認識している。

このわーくらいふばらんすもそのものなのだが、

人生の中の仕事の割合なのか、日々の生活の仕事量のことなのか、ほかの捉え方も含めて好きに解釈できる。

そして多くの人も好きに使っている。

だから結局個人の主観や感情の匙加減で伝わり方が変わってしまうのだ。

わたしがこの単語に危惧することは使い方の中にその後の人生設計が狂うような使い方をしてる人を沢山見かけることである。

すなわち仕事が全く出来ないうちに何故かこの単語を使う人である。

仕事が出来ない状態で余暇やこの先の人生の過ごし方などと仕事との均衡を測るのだろうか。

未熟な主観という物差しはどれ程の強度を誇るのか心配になる。

自分が選択した最適な余暇と仕事の均衡が過ちであって後に仕事に押しつぶされる人生に変容しないかがただ心配になる。世の中にはそういった未来に対して無責任な言葉と使い方が増えてるような気がしてならないのだ。

変な横文字やカタカナを使う人はわたしは基本信用しない方が良いような気がするのである。

きっと大変苦労することになるのだから。

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