お金の魔力の話

お金の持つ力は良い面も悪い面も大きな力が働く。

そんな大きな力に狂わされる人は実に多い。

私はよくお金に関しては魔力が宿っていると考えている。

すなわち人を惑わす、あやしい力が宿っている。

誰しも大金も手にしたいと夢に見ることがあるかもしれないが多くの場合は悪魔との契約のように悲惨な喪失体験が待っているのだ。

自分の身の丈に合わないお金の使い方が出来てしまったとき、今までの自分に戻ることはもう出来ない。

その昔とある教訓話を聞いたことがある。

ある貧困の発展途上国で道行く子供に食べ物を求められたとき、決して自分の国の物を渡してはいけないと。

その子がもし人工甘味料などのその土地で出会うことが不可能な味に出会ってしまったとき、

今まで食べた質素ではあるが日々の充実した食卓の味を完全に破壊し、その子人生ではおそらく二度と巡り会えない物を与えることになると。

一生をかけて手に入らない物を追い求める地獄を人に与えるのだ。

とそんな話であったが

この話とお金の魔力はすごく通ずるものがあると思うのである。

その当人が稼ぐことが出来ない金額のお金を与えられたとき、人は今までの質素で堅実な生活が破壊され、制御の効かない浪費生活の沼へと引き込まれることになる。

これは賭博で浮いたお金を得るものや、若さを武器にお金を炎上してもらうなど、再現性の低いお金の手に入れ方をすると経験することになる。

一部の不理解な人はもしかしたらこれを運が良いと捉えるかもしれないが、残念ながら幸運であれば継続性のある金銭の稼ぎが得られるはずである。

一瞬の泡銭を持つことによって喪失するものの大きさを考えたら幸運どころか遥かに不幸な体験となる。

人間は得ることによる幸福感より遥かに失うことに夜喪失感の方が強く感じるように出来ている。

臨時賞与などは顕著で

貰った事実への感謝より

他の人間との金額の差や待遇の差に怒りや不平が発生し、感謝の念が失われることも往々にしてある。むしろ臨時賞与がない方が生産性が上がる場面が出てしまうくらいである。

これほどまでにお金に振り回される人生の中で

自分が魔力に呑み込まれないためには

お金を手に入れる労苦をその金額きちんと言い当てられる金額しか求めないことである。

高校生であれば、毎日学校帰りにアルバイトして、好きなことする時間を削ってやっとひと月に10万円という金額である。

これが100万ならどうなのか。

説明が出来ないならば求めるべき金額では無いのである。

よく営業であれば自分の給与の3倍の粗利を稼ぎ出せなど言われるが、そういった強い金銭に関連した指標を説明出来ないのに、お金を得る行為をしたときはもうすでにお金の魔力に呑み込まれているのである。

そうなると実は多くの人が呑み込まれていることに気付くだろう。

よく自衛隊の方々とかでお国からいただいたので

1円たりとも無駄にできないと、非常に厳しい訓練を受けておられるが本質はお金の魔力に呑み込まれないようにするためである。

すなわち人が人であるためである。

お金を稼ぐことが出来ない公務員の人は一般の民間人の何倍も魔力の影響が強い。

民間の人から当たりが厳しいのはお金に対する魔力への体制が民間の人より遥かに弱いため、修行不足が目につきやすいから責められるというのがわかりやすい解釈ではなかろうか。

天国か地獄か死後にいく世界の話があるが

私は意外と善悪な生き方も大事だが、お金の魔力に呑み込まれた人は全員地獄いきだと思った方が合点がいくので、結構地獄行きの人は多いんじゃないかなと勝手に思っている。

浄財という言葉があるように、ありすぎるお金や財産を身を滅ぼすので、世のため人のために使うことを自分は心掛けていきたいなと思いますね。

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