近年政治の世界において顕著だが、明らかに誤った表現で特定の派閥の人を貶める表現が増えている。
特に憤りを信じるのが、政治の世界における左派に対する誤った認識である。
そもそも左派とは改革思考であり、現在の既成の構造や体制を変えて、よりよく変革させようとする集団である。
右派とは保守思考であり、現在の体制維持を大切にして、基本理念は永遠の微調整を美徳とするような集団である。
本来どちらも必要で、主義主張の違いしかないが、
左派に対して攻撃的な表現をする人がおり、誠に残念である。
現在の世の中は左派や右派で整理するのが難しい。
与党と呼ばれる政権政党であっても左派と右派が混在し、政策も左派と右派が混在している。
例をあげるなら、
改憲発議などは左派的な行動の典型的なものだ。
改憲発議をすると言っている人間が自らを右派ですなどというのはおかしいのである。
この場合右派は護憲派の人間になるからだ。
日本国においては都合良く、自らを右派と名乗り、相手を左派と貶めて、情報操作や印象操作を意図的に行っている場合が多い。
まるで、左派は敵で愚か、右派が日本の味方で正しいみたいな論調をみかける。
このような低俗な人々をよく観察すると、右派と左派がそもそもまともに認識出来ていない。
右か左ではなく、個人の主張の問題なのである。
日本国における右派、左派問題は結局のところ2つ問題に行き当たるような気がするのである。
ひとつは二重規範である。
わたしは特定の政党の支持はないので、あえて
政党名はあげないが、特定の保守政策と改革政策が混在しており、自分たちの都合で平然と主張をねじ曲げる政党は問題である。
選挙のときだけ叶わない公約をあげる。
支持母体以外へも支援する振りをする。
日本国にある起業家や地主、既得権益を支持基盤とする政党が選挙の度に国民全員のために活動しているかのように話しているが、実態としてはそのようなこと出来るわけないのである。
資産家と労働者両方に寄り添う政策など物理的にありえない。にも関わらず、平然と両方に良いように政策発信するのは二重規範の極みである。
もうひとつは階級社会への回帰である。
人類社会は市民革命と民主主義を持って階級社会を打破し、平等に近づいたが、近年民主主義国家では貧富の差が広がり、階級社会への回帰にも似た現象が起きている。
階層社会と言うべきだろうか、こういった階層が発生する中で、上位階層が下位階層を支配するための政治が頻繁に見られる。
世界中の民主国家では階層間移動が激減しているようだ。生まれた瞬間から重荷を背負い、自らの活動の幅を他社に運命づけられる人が増えている。
これは何故かという問いは歴史が証明している。
それは支配階層の怠慢と腐敗、無能さからもたらされる。
日本国におけるこの30年の停滞感や政治不信の根幹は何か、それは支配階層の凋落以外にはありえないのでる。
現代における極度の左派に対する締め付けや人種差別、無能な批判の数々は支配階層の愚かさの表出なのである。
そもそも仮に右派が間違っていないなら左派政策など推進する必要などないのだ。
それどころか自称右派自らが左派政策を推進している時点でそれは政治活動ではなく、支配活動であり、既得権益を守るための活動なのである。
この社会が階級社会の延長にあるうちは、右派は支配階層、左派は労働者階級であることは変わらないだろう。
日本国にいる全ての労働者階級の人間に言えると思うのだが、右派(既得権益)政党へ投票したら支配が深まる。
同じことは話していても右派政党と左派政党は存在価値が違うのである。
ひとつだけ単純な政策判断がある。
移民政策である。
これは誰のための政策か
移民政策は最も単純で、得するのは支配階層だけである。
これに反対する人は本来、労働者階級や非支配層で、その人たちはもし反対を表明するなら右派(既得権益)政党に支持を表明するのは愚かな行為になる。
こんなはずではなかったと怒ってる人を見るにつれて、勉強しようぜって思うのだ。
学ばなければ、一生箱の中の鼠で終わる。
ひとつ勘違いしてはならないのは、
左派でも右派でも愛国者は愛国者である。
反体制主義者と左派はそもそも関係ない。
現代は愛国者左派政党もあり、愛国者右派政党もあり、反体制主義左派政党もある。
右派左派だけでなく様々な角度から政治を眺めることを推奨する。
まずはまともに右派、左派が語れるくらいの国に成長することを心から願っている。

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