平成に失った物

わたしは平成元年生まれである。

平成の知性の30年間右肩下がりに衰退してきた我が国は如何にしてそのように堕落してしまったのか、

平成生まれだから感じることがある。

自身が成長するに連れてこの国にある2つの大きな病巣が大きな要因ではないかと感じている。

1つ目は責任の分散化、それに伴う他責思考の蔓延である。

最近どの情報媒体を手に取ってもなんとも嘆かわしい責任感のない駄文や無駄な情報にあふれている。

ただの感想やお気持ち表明が紙面出てるときは見てて虚しさしか覚えない。

この世界は電脳世界の登場により、非常に狭くなった。その代わりに自分自身の責任を曖昧にする人間が多く、表に出てくるようになった。

匿名の書き込みなんて最たるものだが、教育、情報、政治、仕事あらゆる場面で責任を分散化している。

責任の分散化によって誰が得をするのか考えたら良い。

一般市民が責任を分散し、自らの人生に責任を追わないとき、選挙にいかず、仕事も本気でやらず、家族と向き合わず、地球を汚し、享楽と堕落による自己満足を発出する存在となる。

そんな弱い人間も生きていく必要がある。

そんな人間が増えて得するのは誰だろう。

何故税金は増え続けるのか。

全ての答えは支配と格差の拡大である。

権力者の支配構造には弱い人間が非常に都合が良いのである。

多くの権力者は自身の力が維持されることを望む。そのためには階層逆転の起きない世界を目指す。

結果的に我が国では一般市民は権力者によって無自覚に搾取される状況を作られている。

2つ目は不勉強による弱体化、自己成長機会の喪失である。

昭和後期~平成前期にかけて、多くの人間は自らの意思で成長のために投資をしていない。

終身雇用と日本型の組織慣習によって、組織に従うことが正解だと信じた、もしくは信じざるを得なかった人間が大半だったからだ。

日本という国は順風のときは強いが、逆風には非常に弱い国である。規範意識と共同体思考、勤勉さは順風のときには威力を発揮するが、逆風のときは足かせになる。

我が国の人間は無意識に尖り続けて、選択肢を失う、典型的な敗北の思考が選択と集中である。

この危機に対して脆弱な経営思考は平成のあらゆる場面で我が国を蝕む。

なにかに集中投資した結果それが、効力をなくしたときに何も出来なくなるのである。

働かないおじさんと窓際社員はこの選択と集中の結果が会社内の社内政治に全力で投資したため出張する。

この無意味な人件費を大企業が払っていると思うのは大間違いだ。

それは本来、中小企業の給与の源泉になるべき費用なのである。権力者たちの怠慢の代償はほとんど例外なく弱者が払うことになる。

平成という日本人の良さが多く失われ、弱体化した30年から、令和に移り変わり、我々弱者が生き抜くために必要なのは勝てる場所へ移動することである。

他責することもなく、無学に生きることなく、

ただ勝てる要因を見つけたら勇気をもって

進むことである。

それが令和の世界をより良く生きるための大事な心得ではないかと平成の世だけを生きて思うところである。

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